司馬遼太郎氏も吉本隆明氏も読んだことが無い・・・
「内田樹の研究室::ヒップホップと司馬遼太郎と村上春樹」に以下のような一文が公開されている。
司馬遼太郎は日本の「国民作家」であり、吉本隆明は日本の「国民思想家」である。ご異論のある方はおられぬであろう。
その司馬遼太郎は英語訳が三点しかない。「最後の将軍」と「韃靼疾風録」と「空海の風景」だけ。「竜馬がゆく」も「坂の上の雲」も「燃えよ剣」も「街道をゆく」も翻訳がないのである。日本人の心性と価値観と美意識をみごとに描いたこれらの文章に非日本人はまったく関心を示さないのである。
吉本隆明が戦後日本思想を「知る」上で必須の文献であることに異論のある人はいないであろう。その吉本隆明の著作は外国語訳が一つもない。「擬制の終焉」も「自立の思想的拠点」も「共同幻想論」も「言語にとって美とは何か」もどれも外国語に訳されていないのである。
「国民作家」の書籍も「国民思想家」の書籍も、これまで何度か「読んでみたいな」と考えたことはあったが、どうしても読む気になれなかった・・・今更、とても損をしているような気になる。更には、村上春樹氏の本も実は読んだことが無い・・・
最近、これまでの生活を振り返って、「随分と慌ただしく生きてきたな~」なんて考えるようになったのは、単に年齢を重ねたからなのであろうか。それとも、別の何かの重力が働いているのだろうか。まだまだ、忙しい生活だが、ちょっと立ち止まってみようかとも思っている。




日本の思想史もそうですが、以前、うちの娘とテニスチャンネルを見ていて、彼女がナブラチロアがチェコから亡命してきたことを知らなかったことにショック・・・・「あんた!何年、テニスやってるの?」「I am sure that most of my team don’t know about that!」と、文字通りひざの上にあったラップトップで、チャカチャカチャカとチャットして友達に聞いたら、「ほら、やっぱりみんな知らないよ」えーーー!そういうもんなの?と教える必要はないと思っていた自分の思い込みを改めたのでした。
私は、最近、日本文学は、そのうち、アニメの名作と関連つけて、説明してくるオタッキーなアメリカ人によって、英語圏に紹介される可能性があるんじゃないかと思ってるんですけどね。付き合いのあるアメリカオタク達の中には、結構インテリがいて、卒論のテーマとか聞くと、「Clamp(カードキャプターなどの4人の女性の作者)と日本のジェンダー問題について」とか、よくわからない答えが返ってきたりします。
バカボンドから宮本武蔵を読み始めたなんて子もいます。
立ち止まって、読む本、私も考えたいです。
かっぱ@ロスさん
そうなんです・・・現代っ子っていうのは、意外と我々が常識と考えているよう内容を知らないんですよね~我が娘は、「チェコって何?」って・・・単純に年齢のせいにもできないな、なんて感じたりして、自分の考え方を正す毎日です。
アニメは、本当に日本世界への文化のようでして・・・日本在住だと気が付きませんが。アニメの中で主人公に息を吹き込む、という作業が日本人作家は優れているそうですよ。