日本人が失ったもの・・・という課題
長女は、現在大学3年生。卒業論文のテーマの絞り込みに躍起になっている。未だに、長女から卒業論文に関する質問を受けるが、私は根っからの理系で、文系に関する卒業論文は皆目見当が付かない。
若い頃から「文学部」といった存在が不思議だった。どんな勉強をしているのか興味はあるものの、それを深く追求する必要はなかったし、したいとも思わなかった(と、表現すると聞こえは良いけど、結局のところ、「文学部」の存在を認めていなかった、というのが正直なところなんですよね・・・すいません・・・)。ただ、最近は、本ブログの多くの投稿記事でも指摘しているが、文学や名作に触れなかったことを後悔している。
そんな中、内田樹氏のブログをかなり昔まで遡って閲覧していると、面白い投稿記事をみつけた。それは、内田氏の担当する授業の学生向けの宿題である。「なるほど!文学部の学生は、こんなことをやっているのか!」と。投稿記事は、「内田樹の研究室::内田ゼミ三回生諸君へ!」で、引用すると以下の通りである(かなり、昔の投稿記事であるため、多少修正を加えた)。
次の本のうちから一冊を選んで、その書物を素材に「日本人が失ったもの」という主題で思うところを述べなさい。字数2000字程度。
- 森鴎外「渋江抽斎」
- 森銑三「明治人物閑話」
- 谷崎潤一郎「陰影礼賛」
- 中島敦「山月記・李陵」
- 吉田満「戦艦大和ノ最期」
- 夏目漱石「虞美人草」
- 樋口一葉「たけくらべ」
- 太宰治「お伽草紙」
文学部というのは、こうした教授色が色濃く出ものなのだろうか。理系の場合は、あまり教授色が出ることはなく、どちらかというと一般論を追及するような形式が多いような気がするが、私個人の独断と偏見かもしれない。
また、上記の投稿記事と同時に、「内田樹の研究室::田岡嶺雲の東夷論」という興味深い関連記事を見つけたので、合わせて引用しておこう。
森銑三といっても知る人は少ないが、私の大好きな文士の一人である。この人の「明治人物閑話」が私の座右の書の一つであるのは折に触れて書いている通りである。
(中略)
家に籠もって森鴎外や夏目漱石や永井荷風や石川淳や中島敦や森銑三のような「明治の匂い」のするものばかり読んでいた。森銑三を読んで成島柳北の存在を教えられ、それから柳北のものを読み始めたのである。私が「日本のおじさんは偉い」という確信を得たのはこれらの明治人のおかげである。
内田氏は、森銑三を30代、40代という年齢で読み漁ったそうだ。日本史大嫌い、文学大嫌いだった私にとっては、ちょっと若返ったような気分で上記の名作家!?から読むのが良いかもしれないが、「小説を読んでいる時間があるなら、もうちょっとプロジェクトに関われ」と若いコンサルタントの小言が聞こえそうである。



