「日本人」という病

2009 年 11 月 21 日 | カテゴリー: 読書ノート | タグ: ,

河合隼雄河合隼雄サポート最近は、「日本人論」ブームなのか、それとも私が個人的に興味があるから目立つのか。書店には、やたらと「日本」や「日本人」に関する書籍が並べられているような気がする。内田樹氏は、「「日本論」、「日本人論」、「日本文化論」といった内容は、何度でも確認する作業が必要である」と指摘しているように、私のような凡人でも確認して、肝に銘じて、活きていく必要があるのだろう。

そうした中、ふらっと立ち寄った書店の片隅に置いてあった河合隼雄著「「日本人」という病 – これからを生きるために」(静山社文庫:2009年11月)河合隼雄サポート2が衝動的に気になって購入。以前から、河合隼雄は読んでみたい、と考えていたのだが、どちらかと言うと、河合隼雄の日本人論よりも、心理学を読みたかったのだが、それは後日に譲ることにした。(って、文庫本だし、購入しやすかったのが一番の理由だったりしますが・・・)

気楽な気持ちで購入したが、内容はなかなかハードである。「ハード」という意味は、想像以上に「考えさせられる」ことが多い、ということを私なりに総括しているが、日本人論から、日本人に留まらず、「人間論」にまでその話題が至っており、これまで自分では考えたことが無い「死」や「宗教」という内容にまで触れていて、かなり刺激的であった。ただ、ところどころに登場する関西弁がちょっと違和感があったが。

そうした書籍の中で、やはり河合隼雄が語る「日本人論」は記憶しておく必要があろう。特に「イエ」という集団主義が日本人の備えた古来からの特徴であって、そうした「集団主義」から、西欧の「個人主義」へと変遷することができずにいる(というより、する必要があるのか、という課題提起になっていると思うけど・・・)。こうした集団主義と個人主義の考え方は、熟慮しておく必要があると私は考える。

日本人というのは、自分個人、「私の何か」とか「私はこう思う」ということがすごく言いにくいし、言わない。結局どういうことかと言えば日本人はみんな集団で「我々」というのでしょうか、「我々はこうするんだ」と「集団」で動いている。(p.140)

上記に関する記述は、多くの日本人にとっては、納得できるものではないだろうか。当然、「私は違う」といった反論はあるだろうし、「だから日本人はダメなんだ」と悲観的にもなると思われるが、ここは「日本人って、一般的にはそういうものだ」として理解することが重要であろう。

更に、この「集団主義」は、「イエ」という考え方へと進展する。

伝統的な日本人の生き方としては、己(おのれ)を支えるものとしての「イエ」が極めて重要であった。というよりは、むしろ、まず「イエ」の存続ということが第一義としてあり、各人は自分の所属する「イエ」の存続と繁栄のほうをまず考えた。ここにわざわざ「イエ」として表現したことは、先人の多くの研究が示しているように、それが必ずしも血縁による家族を示していないことが特徴的であるためである。(p.172)

上記における「イエ」とは、上記のように「家」を意味するものではない。複数の日本人集団を構成する「場」を意味するものである。個人の要望や主張を敢えて出すことなく、「イエ」を最優先する日本人の文化。

こうした「イエ」の文化は、開国後徐々に崩れてきた、と河合は主張する。そして、天皇を中心とした「イエ」となり、更には、敗戦後、「個人を抑制したイエ」の文化を失敗と思い始め、欧米流の「個人主義」を取り入れるようになってきた、としている。

欧米において発生した「個人主義」は、その根底にキリスト教の思想があり、その思想を持って、「個人主義」が「エゴイスト」との一線を引いていた、としているのは、個人的にはかなり興味深かった。

脚注:[1]
河合隼雄(カワイハヤオ)
1928年、兵庫県に生まれる。臨床心理学者。1952年、京都大学理学部を卒業。京都大学教育学博士。1965年、スイスのユング研究所にて日本人ではじめてユング派分析家の資格を取得。日本におけるユング分析心理学を確立した。京都大学教授、国際日本文化研究センター所長、文化庁長官を歴任。2007年7月、逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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